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セザンヌの「ザクロと洋梨のあるショウガ壷」


セザンヌ「ザクロと洋梨のあるショウガ壷」 
セザンヌの「ザクロと洋梨のあるショウガ壷 (Ginger Pot with Pomegranate and Pears)」1893
「近代絵画の父」とも称される、後期印象派を代表するフランスの画家ポール・セザンヌは1839年1月19日、南仏の小さな町エクス=アン=プロヴァンス(エクス)で生まれました。父ルイ=オーギュスト・セザンヌが知人と共にセザンヌ・カバソール銀行を設立し、事業は成功したため、比較的裕福な生活を送ったとされます。

少年時代にエミール・ゾラと知り合い、意気投合し絵画の創作に熱中しながら親友として絆を深めて行きました。

1859年から父の希望で法律を学ぶためエクスの大学に入学しましたが、法律になじめず、本格的な絵画を学び始めるうちに画家への想いが強くなり、1861年、法律の勉強を放棄してパリへに向かって父との対立が本格化しました。

その後、カミーユ・ピサロやクロード・モネ、ルノワール、フレデリック・バジールら後に初期印象派を形成する主要な画家たちと交流を育くみながら、印象派展に何度も出品しましたが落選続きで作品はほとんど理解されませんでした。セザール自身は1878年頃から印象派の手法に不満を感じ始め、印象派の他のメンバーとの交流が少なくなり、1880年代以降はパリを離れてエクスに戻って制作を続けました。

1882年の時には初めて43歳にしてようやくサロン(官展)に入選しましたが、この時も友人の審査員に頼み込んでやっとのことで入選したとか。

そんなうだつのあがらないセザンヌをモデルにして、子供の頃からの親友エミール・ゾラが1886年、失敗した画家についての小説「制作」を出版したことから2人は絶交。一方で同じ年に亡くなった父の残した莫大な遺産のおかげで生涯の経済的不安から開放されました。

若い頃には彼の絵はなかなか理解されなかったセザンヌですが1890年代後半からは次第に評価を得るようになり、晩年期には彼の絵画は高額で取引されるようになりました。

「ザクロと洋梨のあるショウガ壷」は評価を得るようになってからの1893年に描かれた作品です。House Floor 1のギャラリーにあります。

1892 〜1895年頃の作品「Fields at Bellevue」や1906年の作品「The Garden at Les Lauves」も同じ展示部屋にあります。

セザンヌの「Fields at Bellevue」
セザンヌの「Fields at Bellevue」1892 and 1895
セザンヌの「The Garden at Les Lauves」
セザンヌの「The Garden at Les Lauves」1906
晩年になって名声を得ることになったセザンヌですが、糖尿病など健康状態が悪化したほか精神状態も不安定に。それでも絵画を描き続けていたセザンヌですが1906年10月に野外で制作中に大雨に打たれて肺炎になりエクスのアパートで死去しました。67歳でした。