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19世紀〜20世紀フランス・イタリア美術


モディリアーニ

アメデオ・クレメンテ・モディリアーニは1884年にイタリアのトスカーナ地方でユダヤ系イタリア人の家庭に生まれました。幼い頃から絵に興味を持っていたモディリアーニは1898年14歳のときに風景画家のグリエルモ・ミケーリのアトリエでデッサンの指導を受けるようになりました。

モディリアーニは生まれつき病弱体質で、1900年には肺結核により病気療養の為、フィレンツェ、ヴェネツィアなど気候の良い土地を巡る旅に出ています。その時の影響でしょうか、1901年からは故郷を離れてフィレンツェに移り住み、裸体美術学校で学んでいます。

その後1906年パリへ移住してアカデミー・コラロッシに入学。この頃パブロ・ピカソら数々の画家と交流を結ぶようになっています。

1917年にはアカデミー・コラロッシで画学生だったジャンヌ・エビュテルヌと知り合い同棲を始めました。当時モディリアーニは33歳でジャンヌは19歳。モディリアーニはユダヤ教、ジャンヌはカトリックで、結婚には周囲から反対されました。翌年には11月29日長女ジャンヌが誕生。1919年にはジャンヌ・エビュテルヌと結婚を約束していますが、生来から患っていた肺結核や貧困に苦しみ、大量の飲酒、薬物依存など荒れた生活の末、1920年に結核性髄膜炎により、わずか35歳の若さで死亡しました。結婚を約束していたジャンヌもモディリアーニの死の2日後、後を追って自宅から飛び降り自殺。この時妊娠9ヶ月だったと言います。

晩年期になってからようやく画家として評価され始めたと矢先に亡くなってしまったモディリアーニ。ナショナルギャラリーにある絵も彼の晩年期の1916~1919年に描かれたものです。

1917年に描かれた作品「青いクッションの裸婦」は展示場「81」にあります。

モディリアーニ「青いクッションの裸婦」モディリアーニ「青いクッションの裸婦 (Nude a Blue Cushion)」1917
 

亡くなる前の年の1919年描かれた作品の「子供とジプシー女」は展示場「80」です。

モディリアーニ「子供とジプシー女」モディリアーニ「子供とジプシー女 (Gypsy Woman with Baby)」1919
 

モディリアーニの絵は死後になって急速に値段が高騰し、20世紀を代表する画家とされたのは皮肉とも言えそうですね。このほかにもナショナルギャラリーにはいくつもモディリアーニの作品がありますので、お好きな方はじっくり鑑賞して下さい。

ちなみに「Head of a Woman」と言う1910~1911年頃に石灰岩いにより作成されたモディリアーニの彫刻もありますよ。

メインフロアからは1階下がったグラウンドフロアの展示場「41」です。

モディリアーニ「Head of a Woman」モディリアーニ「Head of a Woman」1910/1911